2009年9月26日土曜日
東大×ハーバードの岩瀬式!加速勉強法
何かに情熱を持って取り組みつつ、そんな自分を冷静に見つめる。
目先のことに没頭しながら、同時に中長期的なことまで考える。
論理的・機能的に考えながらも、どこかで人間的・感情的な視点を忘れない。
慎重でいて大胆。情熱的でありながらどこかクールで、やさしくも厳しい。
2009年9月21日月曜日
2009年9月20日日曜日
シュルレアリスム宣言;溶ける魚
2009年9月19日土曜日
2009年9月14日月曜日
「ワタシが主役」が消費を動かす―お客様の“成功”をイメージできますか?
消費者=生活者は今や単なる買い手ではなく、「ワタシが主役」とばかりに売り手側と同じステージに立つようになった。お客様の意思が消費マーケットそのものを動かし、製品や提供されるモノを川下から逆流させて変えさせるほどのパワーを持ってきたのである。
この変化を、女性マーケティング、とくに25歳~50歳の既婚者層に関して絶大な強みを持つ著者が、「女性のあした研究所」による調査(2007~2009年3月)を踏まえ、生活者に支持される企業になるにはどうすればよいかを様々な実践例とともにアドバイスする。
取 り上げる事例は、トヨタカローラ「女性視点マーケティング」、レシピ投稿サイト「クックパッド」、ANA羽田ラウンジの「INNOVATIVE VOICE」、ファッションイベント「東京ガールズコレクション」など、消費者の「心の動き」を察知し対応に成功している企業・プロジェクト。
ベストセラー『クチコミュニティ・マーケティング』から8年、これからの生活者マーケティングの潮流を読む。
はじめに
1 オフステージからオンステージへ
2 消費者は、加工者、創造者、発信者へ
3 お客様は役割が欲しい
4 自分ごと化でお客様が主役に
5 好き嫌いがベース
エピローグ
2009年9月13日日曜日
しんぼる
人気お笑い芸人・松本人志による「大日本人」に続く映画監督第2弾。主演も松本人志自らが務める。メキシコのとある町。覆面プロレスラーのエスカルゴマン は、いつもと変わらぬ様子で試合会場へと向かう。しかし妻は、夫の中に広がる小さな不安を敏感に感じ取っていた。一方その頃、ひとりの男が白い壁に囲まれ た不思議な部屋で目を覚ます。男は出口も見当たらない部屋の中で途方に暮れながらも懸命に脱出を試みるが…。
『しんぼる』を観てきた。一言で言えば、『2001年 宇宙の旅』のパロディと言えばよいだろうか? 『CUBE』とか『SAW』のような、密室ものの要素もあり、彼のビデオ作品である『頭頭』のようなノリツッコミの要素もある。
ものすごく単純なプロットを、ややこしくテリングするって意味では、リンチ的ともいえる(例えば『マルホランド・ドライブ』)。
松本氏は、以前何かのインタビューで「たけしさん(北野武)はテレビと映画は別だけど、僕はテレビの延長線上に映画がある」という主旨の発言をしていたと記憶しているが(今回、『しんぼる』のプロモーションでも、テレビは放送コードや資金制約が大きいのでテレビから映画に逃げた、というようなことも言っていた)、この映画を料金を払って観たいと言われれば、個人的にはNOだ。
2009年9月12日土曜日
マーケティング脳 vs マネジメント脳 なぜ現場と経営層では話がかみ合わないのか?
人間の脳には左脳と右脳がある。両方の脳が等しく発達していることはめずらしく、ふつう、どちらかの脳が優勢だ。ビジネスの世界をみると、経営者には左脳で考えるタイプ(言語的、論理的、分析的にものごとをとらえる)が多く、マーケティングの人間には右脳で考えるタイプ(視覚的、直感的、総合的にものごとをとらえる)が多い。言い換えるなら、経営者は常識的に考え、型にはまった判断をしがちであり、マーケターは常識にしばられず、柔軟な考えかたをするということだ。実は今、両者の考えかたのちがいから、多くの企業では、左脳タイプのマネジメントの人間と、右脳タイプであるマーケティング人間との対立が、「戦争」といえるほど深刻化している。これは企業にとっても、本人たちにとっても、ひいては消費者や経済全体にとっても頭の痛い事態なのだ。本書は、これを踏まえて、マネジメントとマーケティングの発想のちがいについて25の観点から説明する。これは、経営陣と数々の闘いをこなしてきた経験豊かな著者、アル・ライズならではの試みである。おなじみの明快で歯切れのよい口調で、複数の企業やブランドで具体例を示し、説得力があり、楽しく読める。
はじめに 左脳と右脳
現実―認識
商品―ブランド
ブランド―カテゴリー
よい商品―ちがう商品
ラインを広げる―ラインを絞る
ブランドの拡大―ブランドの縮小
ファースト・ムーバー―ファースト・マインダー
ビッグバンを期待―スロースターターを予想
市場の中央―両極のどちらか
すべてを詰め込む―一語で表現する
抽象的な言葉―視覚的な表現
ブランドをひとつにする―ブランドの数を増やす
才気―実績
ダブルブランド―シングルブランド
永遠の成長―市場の成熟
新しいカテゴリーをつぶす―新しいカテゴリーを生み出す
情報を伝える―ポジションを獲得する
顧客を一生、手放さない―顧客を短期間で手放すことを、いとわない
割引券とセールが好き―大嫌い
ライバルのまねをする―ライバルの反対を狙う
名称の変更を嫌う―名称の変更をいとわない
絶えざるイノベーション―ひとつのイノベーション
マルチメディアを礼賛―マルチメディアに懐疑的
短期的―長期的
常識―感覚
2009年9月9日水曜日
NLP(神経言語プログラミング)
神経言語プログラミング(しんけいげんごぷろぐらみんぐ, 神経言語学的プログラミングとも, Neuro-Linguistic Programming: NLP)とは、 ジョン・グリンダー(言語学者)とリチャード・バンドラーによって始められたコミュニケーション技法・自己啓発技法・心理療法技法を中心とした体系である。 2人が出会ったのは、米国のカリフォルニア大学サンタクルーズ校で、グリンダーは教員、バンドラーは心理学(数学と書かれることもある)の学生であった。
NLPは、「3人の天才的セラピスト」である催眠療法のミルトン・エリクソン、ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ、家族療法のバージニア・サティアが 意識的・無意識的に用いていたテクニックを体系化したものだとされる。
NLPはベトナム戦争の際に、効果を発揮したとされており[要出典]、心理治療の現場で使用され、のちにビジネスや教育などの分野でも応用された。 しかし、その一方で、その効果の程度を疑う声もある。
NLPセミナーを開催している団体によっては、自称第一人者を名乗る人物や誇大広告をする会社もあるので、注意が必要である。
NLPを使用して、社会的に成功したとされる人物には勝間和代、アンソニー・ロビンズ、ビル・クリントン大統領などがいる。 このように、NLPを使い社会的成功を得た人物は多く存在するが、NLPはテクニックの一つにしかすぎず、NLPを学んだからといって必ずしも成功できるわけではなく、NLPが有効であるかは使用者次第である。
具体的技法
- アンカリング
記憶や感情が、直接は関係ないものと結びついている状態のこと。(ある映画を見ると、決まって父のことを思い出す等)これを利用して、(例えば)ある動作と肯定的な心理状態を結びつけ、動作によって肯定的な心理状態を作り出す。
- リフレーミング
物事の意味付けを変えること。例えば、「悪いことばかり考える」ことに、「慎重でよい」という評価を加えることで、肯定的になる。
- VAKシステム
人の認知の種類を視覚・聴覚・体感覚に分け、どの知覚を通せば、相手とコミュニケーションがとりやすいかを考える。
- アイ・アクセシング・キュー
目の動きによって、相手が考えている概要を知り、接近の手がかりとする。
批判
- 商法としての批判
神経言語プログラミングの流布は自己啓発セミナーの 形式をとる団体もあり、受講料も比較的高額(初級の数回の講習で7-30万円程度)である場合が多い。 詳しくは自己啓発セミナーを参照のこと。 さらに現在では、NLPの講座を主催する団体が乱立しており、団体同士で批判をしあう場合も多い。 (例えば、「最先端の第3世代ではない」「あまりに高額である」「米国NLP協会は世界的な団体とは言えない」等)特に創始者のグリンダーを同じく創始者 のバンドラーが訴えたことは有名である。
このことから、「コミュニケーションを円滑にする技法を学んだ者たちが争い合っている」ことの矛盾を指摘する声もある。
- 科学としての批判
神経言語プログラミングは心理学を標榜している場合が多いが、科学的でない側面が多々ある。 たとえば、「人はエクセレント・ライフを送るために生まれてきている」というフレーズをよく使う団体が存在するが、この言説は科学の範疇には含まれない。
また、NLPの理論に強い科学的根拠がないことが指摘されている。[1]さらに代表的な技法であるアイ・アクセシング・キューは、実験で有効でないとされた。[2]
また、NLPのアプローチのほとんどが、既知の心理学で述べられたことの焼き直しであることが批判されることがある。 たとえば「アンカリング」は行動主義心理学の条件付けの範疇であるし、「メタモデル」も前述のように認知論的であり、NLPの登場以前に心理学で指摘されたことである。
しかし、リフレーミングやメタモデル等のカウンセリング技法は認知行動療法に通じるものもあり、(認知行動療法はさまざまな精神疾患に一定の効力が科学的に証明されている)学術的に研究された心理学・脳神経学・言語学のテイストが含まれており、一概に内容を全否定することもできない。
「大きな政府」論者と「小さな政府」論者
「小さな政府」論者は、日本には規制が多すぎ、自由が足りないと考えている。
「大きな政府」論者は、日本の問題は「市場の失敗」で、国の介入を増やすべきだと考える。
「小さな政府」論者は、日本の問題は「政府の失敗」で、国の介入を減らすべきだと考える。
「大きな政府」論者は、市場を規制して、弱者や国内産業を保護すべきだと考える。
「小さな政府」論者は、市場は規制せずに、セーフティネットで弱者を救済すべきだと考える。
「大きな政府」論者は、市場が規制されていないために、弱者が苦しんでいると考える。
「小さな政府」論者は、市場が規制されているために、弱者が苦しんでいると考える。
「大きな政府」論者は、政府の力を信じ、市場の力を疑っている。
「小さな政府」論者は、政府の力を疑い、市場の力を信じている。
「大きな政府」論者は、個人は政府から自由を与えられると考える。
「小さな政府」論者は、個人はもともと自由を持っていると考える。
「大きな政府」論者は、考え方が社会主義的である。
「小さな政府」論者は、考え方が資本主義的である。
「大きな政府」論者は、規範と統率を好む。
「小さな政府」論者は、自由と多様性を好む。
「大きな政府」論者は、いまの日本は「小さな政府」だと考えている。
「小さな政府」論者は、いまの日本は「大きな政府」だと考えている。